大判例

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東京高等裁判所 昭和60年(ネ)3480号 判決

控訴人

木村保昭

右訴訟代理人弁護士

鎌田哲成

被控訴人

音峯清一

被控訴人

音峯昭子

右両名訴訟代理人弁護士

平野義燿

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  控訴人は、「原判決を取消す。被控訴人らは控訴人に対しそれぞれ金三三一万円及びこれに対する昭和五九年一〇月一九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人らは、控訴棄却の判決を求めた。

二  当事者の主張及び証拠関係は、次のとおり付加、訂正、削除するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決四枚目表九行目の冒頭から同裏一行目の末尾までを次のとおり改める。

「島村は、本件売買契約当時、本件土地につき右仮差押及び差押がなされていて、右契約上の義務の履行が著しく困難であることを知悉し、また、後日その事実が判明した場合には、買主から契約を解除されるか又は合意解除を余儀なくされて売買代金を返還しなければならない事態となるが、その返還もきわめて困難であることを認識しながら、右の事実を秘して控訴人との間に本件売買契約を締結し、代金内金を受領してこれを騙取したものである。したがつて、島村は、売買契約又はその合意解除に基づく契約上の義務の履行を怠るばかりでなく、不法行為責任をも負担しているものである。他方、亡英二は、島村の経営する「不動産トオカイ」に取引主任者として勤務し、取引に関与していたのであるから、本件土地が如何なる状態にあるのか、また、当時の島村の資産の状態が如何なるものであるかを知悉していたのに、同人と共謀し、前記仮差押、差押が既になされている事実を秘して、控訴人をして売買契約をさせたものである。また、仮に亡英二が当時右事実を知らなかつたとしても、同人は、取引主任者として、直近の土地登記簿謄本を取寄せ調査すれば右事実を容易に知ることができ、ひいては、島村が本件売買契約に基づく所有権移転登記も代金内金の返還もなし得ず、控訴人に代金相当額の損害を与えるであろうことを十分に予測することができたのに、右調査を怠つた過失により、島村の不法行為を幇助したものであり、同人ととともに不法行為責任を免れない。」

2  同四枚目裏八行目の「亡英」の次に「二」を加え、同一一行目の「同訴人」を「亡英二」と改める。

3  同五枚目表一二行目の冒頭に「1」を加え、同裏六行目の「慮期間」を「熟慮期間」と改め、同一二行目の「一五〇万」の次に「円」を加える。

4  同六枚目表七行目の次に行を変えて「2、仮に亡英二に責任があつたとしても、本件売買契約が合意解除された時に、控訴人は、亡英二の債務を免除したものと推定すべきである。」を加え、同九行目の「一」の次に「被控訴人らの主張1の内」を加え、同裏三行目の「慮期間」を「熟慮期間」に改める。

5  同七枚目裏二行目の次に行を変えて「三、被控訴人らの主張2の事実は否認する。」を、同四行目の「本件」の次に「原審及び当審」をそれぞれ加える。

理由

一〈証拠〉によれば、控訴人は、昭和五六年五月二六日ころ、島村との間に、請求原因一項の定めによる本件土地売買契約を締結し、その後同年一〇月三一日までに同三項のとおり代金内金合計六〇二万円を支払つたこと、島村は、自ら「不動産トオカイ」名義で宅地建物取引業を営む者であり、亡英二は、取引主任者であつて(この事実は当事者間に争いがない。)、右契約締結の際その場に居合わせ、同人名義の重要事項説明書が控訴人に交付されたこと、右重要事項説明書には、本件土地につき登記簿に記載された事項として島村の所有権のみが記載され、その他の負担の記載はなく、また、同時に島村が控訴人に交付した登記簿謄本は昭和五五年一〇月二四日付のもので、これには、同年九月一日受付で訴外小田原信用金庫を権利者とする債権額二五〇〇万円の抵当権設定登記の記載があつたが、島村は、控訴人に対し、これはいずれ抹消する旨を述べたこと、しかし実際には、当時既に本件土地について昭和五六年一月二二日受付による訴外内田茂を債権者とする仮差押登記及び同年五月一三日受付による訴外内藤敏子を債権者とする強制競売開始決定による差押の登記がそれぞれなされていたのであるが、本件売買契約にあたり控訴人が交付を受けた登記簿には右仮差押及び差押の各登記の記載はなく、島村または亡英二からその存在を告げられたこともなかつたため、控訴人は、当時右各登記の存在を全く知らず、前記代金内金を支払つた後の昭和五七年一月ころ、調査して初めて右各登記の存在を知つたこと、以上の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

以上の事実関係のもとにおいて、控訴人は、亡英二が右仮差押及び差押の存在を告げなかつたことにつき、故意又は過失による不法行為を主張するものである。

二被控訴人音峯清一(以下「被控訴人清一」という。)は亡英二の養子、被控訴人音峯昭子は亡英二の長女であること、亡英二は、昭和五九年二月二四日死亡し、同人の相続について、被控訴人らは、横浜家庭裁判所小田原支部に相続放棄の申述をし、同年一〇月二九日これが受理されたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

そこで、右相続放棄の効果について判断する。

〈証拠〉によれば、亡英二は、もと不動産業者で、昭和五六年五月当時は、取引主任者の資格を活かして島村方に勤め、昭和五八年八月ころまで働いていたが、昭和五六年五月当時既に八五才の高令(明治二八年一〇月三〇日生)で、一日に二、三時間事務所に居る程度の勤務であり、他方、被控訴人音峯清一の所有家屋に被控訴人ら夫妻と同居し、生活費も被控訴人清一に依存し、時折は小遣も被控訴人音峯昭子から貰つていたこと、被控訴人らと亡英二とは平常は互いに仕事の話はせず、被控訴人清一は、亡英二が松田の方の不動産屋へ行つていると聞いていたのみで、島村の名を知つたのは、亡英二の死後のことであつたこと、亡英二には、死亡当時、預金その他の資産は全くなく、また、被控訴人らは、亡英二が債務を負担している事実を知らず、その負担の可能性にも思い及ばなかつたため、相続放棄の手続をしなかつたところ、昭和五九年一〇月一八日、本件訴状の送達を受けて、初めて控訴人が亡英二に対して本件損害賠償請求権を有する旨を主張していることを知り、急きよ同月二五日に相続放棄の申述をし、前記のとおり同月二九日これが受理されたこと、以上の事実が認められる。原審における控訴人本人尋問の結果中には、控訴人が昭和五六年暮頃亡英二の住居を訪れて、同人に、代金を返すよう島村に伝えてほしい旨を依頼したほか、昭和五七年二、三月頃にも亡英二方に赴き同人に支払を請求し、その際には被控訴人清一も在宅していた旨の供述部分があるが、仮にそのような事実があつたとしても、被控訴人清一において、亡英二自身の責任が追及されていることを知つたものと直ちに認めるには足りないというべきであり、他に以上の認定を左右する証拠はない。

右認定事実によれば、被控訴人らは、亡英二の相続開始の時から本件訴状の送達を受けるまでの間、相続財産が全くないと信じていたものであり、同人が死亡の前年まで不動産業者のもとで働いていたといつても、その勤務状況、年令等からみて、自ら責任ある立場で不動産取引等に携わり、これに関連して債権を取得しあるいは債務を負担する等のことがあつたとは考えなかつたことは、やむを得なかつたものというべく、とくに、控訴人に対する債務は、前記のとおり、島村の不動産取引の履行に関して取引主任者としての責任を問われるという特殊のものであるから、被控訴人らにおいて、そのような債務の存在の可能性をも慮つて調査することは、到底期待し難いところであつたと考えられる。したがつて、被控訴人らには、相続財産の有無の調査を期待することが著しく困難な事情があつて、相続財産が存在しないと信ずるにつき相当な理由があつたと認めるべきであるから、民法九一五条所定の三か月の期間は本件訴状送達の時から起算すべきであり、被控訴人らのした相続放棄の申述は有効ということができる。

三以上の次第で、被控訴人らが亡英二の債務を相続により承継したことを前提とする控訴人の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、失当であり、これを棄却した原判決は、理由を異にするが、結論において正当であるから、本件控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官髙野耕一 裁判官野田宏 裁判官南 新吾)

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